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二月二十五日より始まり、いつ終わるかわからない日々の記録です。良かったら読んでやってください
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最近若干運気が低下気味です。買い物して店を出た後に買い忘れたものに気付くとか、私が家を出た瞬間雨が降り出すとか・・・(>.<)
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2008/06/23 (Mon)
さっきご飯食べて帰ってきたら、アパートの隣の部屋の前に大学生くらいの男が座り込んでて、俺の顔を見たらそそくさと去っていったんだけど何だったんだろ?
もしや、あれが「美しき憧れ」って奴ですかね?(^^;)

ふと思ったこと。
最近アニメだのいっぱい見てるけど、傍観者的に見るようになったなぁ、と。
『黒の契約者』や『RD‐潜脳調査室‐』とか見ててもホントに観客みたいな視点で見てるって感じかな。
後、たまに感情移入するとしても、同性キャラの方が多いかなって感じはするな。ルルーシュとか、レイルトレーサーとかね。
何か、俺が感情移入するのは「生き方」だとか「考え方」に共感することからが多いから、自然と男性キャラの方が感情移入しやすいのかもね。
かといって女性キャラに感情移入しないわけでもないんだけどね。『アリソンとリリア』のアリソンとか『図書館戦争』の笠原とかには共感するところあるし。
ただ、「○○は俺の嫁~」っていうのが俺にはあんまりないんだよね。このことから考えると、俺にはあんまり「二次元萌え」っていう性質がないのかもね。

まぁ、今日のは帰ってきて酒を飲みながら思いついたままに書き付けているだけなので特に深い意味はありませんw
とりあえず、感情移入しようがしまいが自分が見て「面白い」と感じればいいじゃんね!って感じなんですが、皆さんはいかがでしょう?
あ、Y田さん、俺はC.C派というよりはカレン派です。
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2008/06/22 (Sun)
今日は参考文献を取りに実家へ帰ってみた。
電車に乗って二時間ちょっともかからない我が実家。一日で往復できるのはいいんだが、近すぎるとかえってあんまり帰らないんだよね。
今回は『永遠の王<アーサー王の書>』を持ってきた。もしかしたら卒論に必要になるかも知れんのだが、果たして読む時間があるだろうか・・・。

電車に揺られながら、村上春樹の『蛍・納屋を焼く・その他の短編』を読んでみた。
やっぱり村上春樹の文章はいいね。読んでてなんか癒された感じがする(^^)
あくまで個人的な感想なんだけど、村上春樹の文体ってとても「さりげない」感じがする。例えば、今回読んだ『蛍』という短編の中で大学時代の寮がとても右翼的だったという記述があるんだけど、それがどのように右翼的だったのかの様子がとても克明に描写されているにも関わらず、最後に「なんだって僕にとっては変わりはないのだ」という風にしめくくる。
「別に深い意味なんてない」「ただ、それだけ」というような記述は少なくても自分の読んだ村上春樹作品の中ではよく使われていて、大体日常生活の何気ない描写と共に登場している。
その一言があることによって我々は、その登場人物にとっての日常世界の一端を垣間見ている印象をうけ、それが村上春樹作品の面白さに繋がるのではないだろうか。丁度、人の日記をこっそり読んで面白さを感じるみたいにね。

後、村上春樹の作品にはよく音楽の要素が登場するよね。
大体それはレコードの形を取って登場し、流れるのは古きよき時代のポップスやレゲエ、ジャズの音楽が使われる。
自分自身では村上作品に登場した曲をほとんどといっていいほど聞いたことがないけど、なんだか文章を読んでいるうちにその曲が流れてくるような感じがするんだよね。
よく村上春樹の本の背表紙の解説なんかに「ほろにがさ」とかそんな類の単語が使われるんだけど、それは作中に流れる古きよき時代の音楽の効果でもあるのではないだろうか。
例えばさ、『1973年のピンボール』なんかではジェイズ・バーのジュークボックスからジャズが流れるシーンがあるんだけど、あれは古き時代の音楽だから渋くてかっこいいんだよ。
誰もいなくなった店内でカウンターに腰掛け、ジャガイモむきをするジェイとカウンターを挟んでビールを飲みながら話す「僕」と「鼠」。そこにひっそりと流れてくるジャズ。うーん、想像するだけで渋くてかっこいいじゃない!
やっぱり、村上春樹世界のかっこよさには「古きよき音楽」が使われているということもあるような気がするな。

ふとおもったんだけど、現在我々が普段聞いている楽曲も、もう何年かした後に小説なんかに登場させたら村上作品のジャズなんかみたいな効果が得られたりするのかな?
例えば、作中で<『恋のミクル伝説』が流れていた>みたいに書かれて、それを読んで「青春のほろにがさ」を感じたりするのかな?w
まぁ、『ロサンゼルスBB殺人事件』で『赤ずきんチャチャ』が出てくるくらいだからその類のものが登場することがないとは言い切れないんだけど、少なくとも俺はそういう記述を読んで「うわぁ、なついwww」とかは思うかも知れんが「青春のほろにがさ」を感じることは絶対にないだろうなw
つーか、アニソンや電波ソングで「青春のほろ苦さ」を感じるなんて、嫌だなぁ・・・(^^;)
2008/06/21 (Sat)
久しぶりに本気で人にムカついた。
あまり詳しくは言えないが、とある人がしでかしたことによって降りかからなくてもいい火の粉が我々にも降りかかっているという状況に立たされている。
俺自身には直接的に何か来たわけではないけど、他の方々はかなり被害を被ったようで皆疲れた顔をしており、見ていて痛々しい。
中でも、うちの上司は「そこまでしなくてもいいのに!」と我らが思うほどこの事件の張本人を庇っていて、その結果受けなくてもいいストレスを受けていて体にも偏重をきたしているとの事。全く、頭が下がります。私も部下ができたらあなたのようになりたいと思います。

でもさ、そこまでしてもらっているのに、当の事件の張本人の態度が気に食わない。
危機感などまるでないかのように飄々としているし、こっちはいらんストレスのせいでピリピリしているのにどうでもいいような話振ってくるし、挙句の果てに上司をからかうような発言までする始末。
誰のせいで皆疲れきった顔をしていると思っているんだ。あんたのせいだってわかってるんだろうな。それでも、一番庇ってくれている人をからかうというのか。
久々に本気で殺意を覚えたわ。

結局上司から説教されて少しは事の重大さがわかってもらえたみたいなんだが、やっぱりちょっと人間性を疑うようなところはあったな。
正直さ、どん底まで落ちて痛い目見てくればいいんだよ。そうすれば自分のした事の重大さがわかるだろうし、長い人生を考えてみればいい反面教師になるし。
今日は雨降っていて、雷もちらほら鳴っているんだよね。
天もかの方のことを怒ってるんじゃないかな、とふと思った。
2008/06/20 (Fri)
昨日はY田さん、Uたさんと共にお好み焼きを食べに行った。
やっぱりお好み焼きっておいしいよね。これでやっと「例のあの人」への禊が済んだって感じw
その後近くのカラオケへ行って3:00まで過ごした。久しぶりにまともな歌を多く歌った気がした。ただ、折角「例のあの人」への禊が済んだというのにUたさん作の「てつこ」はなかなかのトラウマを残したものではあったがw
後、「アナゴ組曲」はなかなかのクオリティだった。しかも、ほとんどジャニーズの曲で構成されている辺りがまた凄い・・・(^^;)w是非動画作ってアップしようぜwww
カラオケの後はお腹がすいたのでファミマで食料を買って食いながらY田さんといろいろ話してた。
結局俺らがファミマに来た時は暗かった空が明るくなって、「あ、今日の天気は曇りかぁ」っていうのがわかるくらいまで話してたんだけど、そのおかげで最近俺が抱えていた問題が結構解決した感じ。
ありがとうY田さん。あなたのおかげで未だ知らない俺に出会えそうですよw
ただ、そのせいで睡眠時間が絶対的に足りなくて、今日は結構死んだ顔をしてた。
後輩が「先輩、大丈夫ですか?」って言ってくれたんだけど、実はこういうことだったんですw折角気遣ってくれたのに申し訳ない気持ちでいっぱい・・・。スマンね、ヘタレな先輩でw

俺が少し晴れやかな気分になったのとは対照的に、最近身の回りでテレビの中でしか見たことのないような事例が頻発している。
幸い俺はまだ直接的に何かあったわけじゃないんだけど、この先火の粉が降りかからないとも限らない。
なんだろ?羊男がかび臭い廊下の向こうの本に埋もれた部屋で俺を呼んでいるのかな?
そうだとすると、この先俺は耳の綺麗な女の子を探して、勘の鋭い少女と友達になって、その少女の母親に会いにハワイに行って隻腕の外国人詩人がサンドイッチを作るのに感心して、昔なじみのイケメンの友人が車で・・・・・・・。
うおっ!怖っ!!!どうか羊男の呼び声ではありませんように・・・。
2008/06/19 (Thu)
なーんかここ数日不安定な感じ。
蛙姐に「ため息をついたぶんだけ幸せが逃げていくよ」って言われたけどまさにその通り。わかってはいるんだけど、つかずには居られない。この目はあまりに夢の見すぎで悪くなった。

他の人に聞いて欲しいってのはあるんだけど、マイナス的なワードって言った本人だけじゃなくその周りの人まで暗い気持ちにさせるらしい。だから出来るだけ言わないようにしているんだけど、それでも言いたい時がふとあったりするんですよ。
でも、自分の中でその内容が取るに足りないと判断している内容だったり、自分が言ったことで相手を不快な気持ちにさせたくないって感情があるから結局は大体言わないんだけどね。
言いたい→けど上記の理由で言えない→そのことが新たなストレス→振り出しに戻るのスパイラルに取り込まれるわけだ。
人の愚痴を聞くのは全然平気なんだけどねぇ。結構俺はその人に共感してしまうタイプだからその人が窮地に立たされていて、相談されたなら全力で助けてあげたいし。

ふと思ったんだけど、愚痴をこぼす事っていうのはどういうことなんだろう?
我々は大体において、どうでもいい奴には愚痴をこぼさないと思うのね。マイナス面とはいえ、自分の心の内面なわけだからさ。
すると我々が愚痴をこぼすのは、ある程度自分の中で信頼や親しみのおける相手ということになる。おそらく、「この人なら話しても大丈夫」という自分の中での基準を満たしている人のことだろうね。
逆に考えると「愚痴をこぼされる」というのは、自分はその人の中である程度の信頼を勝ち得ていることになる。だから、相手との距離を測る一種のバロメーターにはなるかもね。
しかしだ、ここで「その相手を傷つけたくないから愚痴をこぼさない」というのはどういう了見だろう?上記の流れから矛盾しはしないだろうか?

仮説なんだけど、そういう風になるのは「その人を信頼してはいるんだけど、そこまでのレベルに至っていない」という理由か、もしくは「大切だから自分の事なんかで嫌な気持ちになってほしくない」っていう理由のどっちかだと思う。
たださ、後者の理由も相手を思いやっているように見えて結局のところは「信頼していない」ということに繋がるんだよね。上記のように考えるのは相手の意見を考えないで自分の思考の中で自己完結してしまっている独りよがりな意見なわけだから。しかも、若干高いところから見ている気がしない?だから前者よりたちが悪い。
まとめると、「愚痴を言わない」というのは「相手に対する信頼が足りない」ということから発生するのではないだろうか。

で、俺はどうかというと、残念ながらおそらく後者。自分では「皆に気を悪くして欲しくない」っていう理由で言わないと思っていたんだけど、こうして客観的に考えてみるととんでもない偽善者だな俺はw
しかも、自分で言っておきながら「皆をそこまで信頼していない」って結果にはショックを受けた。俺は皆が大好きで信頼しきっているものだと思っていたのになぁ。
ただ、よくよく考えてみるとそういう兆候がないわけでもなかったわけで。文化祭のサブの件も「大変だろうから」って理由で本人の了解なしで解任しようとしてたし、最近は皆の予定聞かずに実験設定してたりしてるしなぁ。
ここまでくると、何が「やさしさ」で何が「おせっかい」なのかもわかんなくなってくるね。人間関係は難しいもんだ。

まぁ、愚痴を言う言わないだけで人間関係が決まるもんじゃないけど、これからは少し人間関係を見直す必要があるだろうな。
皆さん、突然愚痴を聞かせるかも知れませんが、気分を悪くなされたら遠慮なしにさえぎってください。皆さんには拒否権がありますので。
水曜どうでしょう好きに・・・
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