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Javn-har
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男性
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最近若干運気が低下気味です。買い物して店を出た後に買い忘れたものに気付くとか、私が家を出た瞬間雨が降り出すとか・・・(>.<)
なんだかなぁもう(ーー;)
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今日は参考文献を取りに実家へ帰ってみた。
電車に乗って二時間ちょっともかからない我が実家。一日で往復できるのはいいんだが、近すぎるとかえってあんまり帰らないんだよね。
今回は『永遠の王<アーサー王の書>』を持ってきた。もしかしたら卒論に必要になるかも知れんのだが、果たして読む時間があるだろうか・・・。
電車に揺られながら、村上春樹の『蛍・納屋を焼く・その他の短編』を読んでみた。
やっぱり村上春樹の文章はいいね。読んでてなんか癒された感じがする(^^)
あくまで個人的な感想なんだけど、村上春樹の文体ってとても「さりげない」感じがする。例えば、今回読んだ『蛍』という短編の中で大学時代の寮がとても右翼的だったという記述があるんだけど、それがどのように右翼的だったのかの様子がとても克明に描写されているにも関わらず、最後に「なんだって僕にとっては変わりはないのだ」という風にしめくくる。
「別に深い意味なんてない」「ただ、それだけ」というような記述は少なくても自分の読んだ村上春樹作品の中ではよく使われていて、大体日常生活の何気ない描写と共に登場している。
その一言があることによって我々は、その登場人物にとっての日常世界の一端を垣間見ている印象をうけ、それが村上春樹作品の面白さに繋がるのではないだろうか。丁度、人の日記をこっそり読んで面白さを感じるみたいにね。
後、村上春樹の作品にはよく音楽の要素が登場するよね。
大体それはレコードの形を取って登場し、流れるのは古きよき時代のポップスやレゲエ、ジャズの音楽が使われる。
自分自身では村上作品に登場した曲をほとんどといっていいほど聞いたことがないけど、なんだか文章を読んでいるうちにその曲が流れてくるような感じがするんだよね。
よく村上春樹の本の背表紙の解説なんかに「ほろにがさ」とかそんな類の単語が使われるんだけど、それは作中に流れる古きよき時代の音楽の効果でもあるのではないだろうか。
例えばさ、『1973年のピンボール』なんかではジェイズ・バーのジュークボックスからジャズが流れるシーンがあるんだけど、あれは古き時代の音楽だから渋くてかっこいいんだよ。
誰もいなくなった店内でカウンターに腰掛け、ジャガイモむきをするジェイとカウンターを挟んでビールを飲みながら話す「僕」と「鼠」。そこにひっそりと流れてくるジャズ。うーん、想像するだけで渋くてかっこいいじゃない!
やっぱり、村上春樹世界のかっこよさには「古きよき音楽」が使われているということもあるような気がするな。
ふとおもったんだけど、現在我々が普段聞いている楽曲も、もう何年かした後に小説なんかに登場させたら村上作品のジャズなんかみたいな効果が得られたりするのかな?
例えば、作中で<『恋のミクル伝説』が流れていた>みたいに書かれて、それを読んで「青春のほろにがさ」を感じたりするのかな?w
まぁ、『ロサンゼルスBB殺人事件』で『赤ずきんチャチャ』が出てくるくらいだからその類のものが登場することがないとは言い切れないんだけど、少なくとも俺はそういう記述を読んで「うわぁ、なついwww」とかは思うかも知れんが「青春のほろにがさ」を感じることは絶対にないだろうなw
つーか、アニソンや電波ソングで「青春のほろ苦さ」を感じるなんて、嫌だなぁ・・・(^^;)
電車に乗って二時間ちょっともかからない我が実家。一日で往復できるのはいいんだが、近すぎるとかえってあんまり帰らないんだよね。
今回は『永遠の王<アーサー王の書>』を持ってきた。もしかしたら卒論に必要になるかも知れんのだが、果たして読む時間があるだろうか・・・。
電車に揺られながら、村上春樹の『蛍・納屋を焼く・その他の短編』を読んでみた。
やっぱり村上春樹の文章はいいね。読んでてなんか癒された感じがする(^^)
あくまで個人的な感想なんだけど、村上春樹の文体ってとても「さりげない」感じがする。例えば、今回読んだ『蛍』という短編の中で大学時代の寮がとても右翼的だったという記述があるんだけど、それがどのように右翼的だったのかの様子がとても克明に描写されているにも関わらず、最後に「なんだって僕にとっては変わりはないのだ」という風にしめくくる。
「別に深い意味なんてない」「ただ、それだけ」というような記述は少なくても自分の読んだ村上春樹作品の中ではよく使われていて、大体日常生活の何気ない描写と共に登場している。
その一言があることによって我々は、その登場人物にとっての日常世界の一端を垣間見ている印象をうけ、それが村上春樹作品の面白さに繋がるのではないだろうか。丁度、人の日記をこっそり読んで面白さを感じるみたいにね。
後、村上春樹の作品にはよく音楽の要素が登場するよね。
大体それはレコードの形を取って登場し、流れるのは古きよき時代のポップスやレゲエ、ジャズの音楽が使われる。
自分自身では村上作品に登場した曲をほとんどといっていいほど聞いたことがないけど、なんだか文章を読んでいるうちにその曲が流れてくるような感じがするんだよね。
よく村上春樹の本の背表紙の解説なんかに「ほろにがさ」とかそんな類の単語が使われるんだけど、それは作中に流れる古きよき時代の音楽の効果でもあるのではないだろうか。
例えばさ、『1973年のピンボール』なんかではジェイズ・バーのジュークボックスからジャズが流れるシーンがあるんだけど、あれは古き時代の音楽だから渋くてかっこいいんだよ。
誰もいなくなった店内でカウンターに腰掛け、ジャガイモむきをするジェイとカウンターを挟んでビールを飲みながら話す「僕」と「鼠」。そこにひっそりと流れてくるジャズ。うーん、想像するだけで渋くてかっこいいじゃない!
やっぱり、村上春樹世界のかっこよさには「古きよき音楽」が使われているということもあるような気がするな。
ふとおもったんだけど、現在我々が普段聞いている楽曲も、もう何年かした後に小説なんかに登場させたら村上作品のジャズなんかみたいな効果が得られたりするのかな?
例えば、作中で<『恋のミクル伝説』が流れていた>みたいに書かれて、それを読んで「青春のほろにがさ」を感じたりするのかな?w
まぁ、『ロサンゼルスBB殺人事件』で『赤ずきんチャチャ』が出てくるくらいだからその類のものが登場することがないとは言い切れないんだけど、少なくとも俺はそういう記述を読んで「うわぁ、なついwww」とかは思うかも知れんが「青春のほろにがさ」を感じることは絶対にないだろうなw
つーか、アニソンや電波ソングで「青春のほろ苦さ」を感じるなんて、嫌だなぁ・・・(^^;)
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無題
ジャズとかなんかモダンな雰囲気なの好き。そして俺は意外と80年代フォーク的な歌が好き。
そこらへんって曲調がまずアニソンとは全然違うからノスタルジックな感情に浸れるのかも。
そういや、女鳥羽沿いにジャズバーがあったな。いつか行ってみたいな。
そこらへんって曲調がまずアニソンとは全然違うからノスタルジックな感情に浸れるのかも。
そういや、女鳥羽沿いにジャズバーがあったな。いつか行ってみたいな。
テトラさん
俺は80年代フォークはあんまりわからんが、昔はクラシックをよく聞いてた時期があった。
ジャズが流れている店って、何か隠れ家的な感じがして好き。
ジャズバーか。それは興味があるな。ジェイズ・バーみたいな感じだったら最高だけど(^^)
ジャズが流れている店って、何か隠れ家的な感じがして好き。
ジャズバーか。それは興味があるな。ジェイズ・バーみたいな感じだったら最高だけど(^^)
水曜どうでしょう好きに・・・
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