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Javn-har
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男性
自己紹介:
最近若干運気が低下気味です。買い物して店を出た後に買い忘れたものに気付くとか、私が家を出た瞬間雨が降り出すとか・・・(>.<)
なんだかなぁもう(ーー;)
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お供(笑)
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今日はバイトの研修のため、朝から晩まで缶詰状態だった。
と言っても、昨日はなかなか寝付かれず、研修中の約八割は睡魔と闘っていたんだけどねw
会場は駅前近くの建物の六階。いつも見慣れているはずの北アルプスがやけに綺麗だった。
一日潰したとはいえ、ほとんど話を聞いているだけで約5000円の収入。どうもありがとうございました(^^)
昼食休憩の時、俺はコンビニで買ったサンドウィッチを早々平らげて空き時間で『ノルウェイの森』を読んでいたんだけど、すごく癒された。
寒くなると毎年村上春樹の小説を読みたくなる。いつもは『羊をめぐる冒険』を読むんだけど、現在群馬娘様に貸しているので今年は『ノルウェイの森』になりそう。
『ノルウェイの森』に限らず、俺は村上春樹作品の主人公にかなり共感を覚える。
何ていうか、ひどく冷めた目で世の中を見ていて、何に対しても「ただ、なんとかなだけのことだ」という感じにとてもクールな印象を受ける。
作品中には主人公の心情描写がないわけではないのだけれど、そのどれもが他人事のように書かれているような気がする。
後、必要以上に人に入っていかないような気もまたする。「僕は彼女が必要だった」とか書かれていても、それすらもまた他人事のような気がする。以前マダムが発表で「村上春樹の小説は女嫌い文学だ」と言っていたけど、俺はむしろ「人間嫌い」文学なんじゃないかという気がする。
まとめると、村上春樹作品の主人公は、様々な事を気にしているようでいて本当は「どうでもいい」、と思っているのではないかというのが俺の主観が導き出した結論。ただ淡々と目の前の出来事の移り変わりを述べていく。俺はそんなスタンスにとても惹かれる。
今の俺のスタンス「雪かき」も元はといえば『羊をめぐる冒険』の主人公の受け売りだしね。
ふと、村上春樹作品の主人公達は、ある種の「仮面」を被っているのかもしれないと思った。
「普通の人」という仮面を被りながら、内心は全てに無関心なニヒリスト。それが彼らの正体なのかもしれない。
でも、彼らは皆社会に溶け込んでいるし、セックスアピールもあるし、社交的。これは仮面の使い方がうまいからのような気がする。
その仮面の使い方のうまさに俺は惹かれているのかもしれない。
後は彼の無関心な的なところに惹かれるんだろうね。あんな風に淡々と生きていけたらどれだけ楽だろうか、と常々思うよ。
今の俺のスタンスに村上春樹作品の主人公達は少なからず影響を与えている。
高校2年の時に村上春樹の『風の歌を聴け』から『ダンス・ダンス・ダンス』までの一連の作品を読んで衝撃を受けると共にその主人公「僕」にかなりの共感を持ったことは事実だし、彼のスタンス「文化的雪かき」を今の今まで引きずってしまっているんだから。
「僕」に共感を受けたということは、俺も根っこでは完璧ではないにしろ人間嫌いなのかもしれない、とふと思った。少なくとも最近はちょっとその傾向があるし。何だろ?人と関わりたいと思う反面、関わりたくないと感じる自分もいるんだよね。これはやまあらしのジレンマ?
村上春樹作品の主人公みたいに、もっと仮面の使い方を覚えたいな。
「いろいろ気にしているようで実は無関心」というのが村上春樹作品の主人公、「何も気にしてないようで実は気にしぃ」っていうのが俺w
どう考えても前者の方が世の中をうまく渡っていけそうな気がする。
てか、最近表に出さなくていいものまで知らず知らずのうちに出そうとしているような気がするので、それを押しとどめるためにも仮面が必要。
それくらい出来ないと、これから社会に出られそうにないので。
とりあえず、もっと虚無的になりたいなぁ。この世には背負わなくていいのにおぶさってくる物がいっぱいあるんで。
そのためにも、「笑い男」になればいいのだろうか?
と言っても、昨日はなかなか寝付かれず、研修中の約八割は睡魔と闘っていたんだけどねw
会場は駅前近くの建物の六階。いつも見慣れているはずの北アルプスがやけに綺麗だった。
一日潰したとはいえ、ほとんど話を聞いているだけで約5000円の収入。どうもありがとうございました(^^)
昼食休憩の時、俺はコンビニで買ったサンドウィッチを早々平らげて空き時間で『ノルウェイの森』を読んでいたんだけど、すごく癒された。
寒くなると毎年村上春樹の小説を読みたくなる。いつもは『羊をめぐる冒険』を読むんだけど、現在群馬娘様に貸しているので今年は『ノルウェイの森』になりそう。
『ノルウェイの森』に限らず、俺は村上春樹作品の主人公にかなり共感を覚える。
何ていうか、ひどく冷めた目で世の中を見ていて、何に対しても「ただ、なんとかなだけのことだ」という感じにとてもクールな印象を受ける。
作品中には主人公の心情描写がないわけではないのだけれど、そのどれもが他人事のように書かれているような気がする。
後、必要以上に人に入っていかないような気もまたする。「僕は彼女が必要だった」とか書かれていても、それすらもまた他人事のような気がする。以前マダムが発表で「村上春樹の小説は女嫌い文学だ」と言っていたけど、俺はむしろ「人間嫌い」文学なんじゃないかという気がする。
まとめると、村上春樹作品の主人公は、様々な事を気にしているようでいて本当は「どうでもいい」、と思っているのではないかというのが俺の主観が導き出した結論。ただ淡々と目の前の出来事の移り変わりを述べていく。俺はそんなスタンスにとても惹かれる。
今の俺のスタンス「雪かき」も元はといえば『羊をめぐる冒険』の主人公の受け売りだしね。
ふと、村上春樹作品の主人公達は、ある種の「仮面」を被っているのかもしれないと思った。
「普通の人」という仮面を被りながら、内心は全てに無関心なニヒリスト。それが彼らの正体なのかもしれない。
でも、彼らは皆社会に溶け込んでいるし、セックスアピールもあるし、社交的。これは仮面の使い方がうまいからのような気がする。
その仮面の使い方のうまさに俺は惹かれているのかもしれない。
後は彼の無関心な的なところに惹かれるんだろうね。あんな風に淡々と生きていけたらどれだけ楽だろうか、と常々思うよ。
今の俺のスタンスに村上春樹作品の主人公達は少なからず影響を与えている。
高校2年の時に村上春樹の『風の歌を聴け』から『ダンス・ダンス・ダンス』までの一連の作品を読んで衝撃を受けると共にその主人公「僕」にかなりの共感を持ったことは事実だし、彼のスタンス「文化的雪かき」を今の今まで引きずってしまっているんだから。
「僕」に共感を受けたということは、俺も根っこでは完璧ではないにしろ人間嫌いなのかもしれない、とふと思った。少なくとも最近はちょっとその傾向があるし。何だろ?人と関わりたいと思う反面、関わりたくないと感じる自分もいるんだよね。これはやまあらしのジレンマ?
村上春樹作品の主人公みたいに、もっと仮面の使い方を覚えたいな。
「いろいろ気にしているようで実は無関心」というのが村上春樹作品の主人公、「何も気にしてないようで実は気にしぃ」っていうのが俺w
どう考えても前者の方が世の中をうまく渡っていけそうな気がする。
てか、最近表に出さなくていいものまで知らず知らずのうちに出そうとしているような気がするので、それを押しとどめるためにも仮面が必要。
それくらい出来ないと、これから社会に出られそうにないので。
とりあえず、もっと虚無的になりたいなぁ。この世には背負わなくていいのにおぶさってくる物がいっぱいあるんで。
そのためにも、「笑い男」になればいいのだろうか?
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無題
「笑い男」になるなら『キャッチャー・イン・ザ・ライ』は必読。
アオイはその主人公を自分と重ねているしね。
読み終わったころには「笑い男」を理解できるようになると思いまする。
まぁ、人の性格なんてそうそうトラウマになるような出来事でもない限りそう簡単に変わるものではないから、そんな思い悩まないほうがいいと思うけどな。
どっちであろうと一長一短だしな。
アオイはその主人公を自分と重ねているしね。
読み終わったころには「笑い男」を理解できるようになると思いまする。
まぁ、人の性格なんてそうそうトラウマになるような出来事でもない限りそう簡単に変わるものではないから、そんな思い悩まないほうがいいと思うけどな。
どっちであろうと一長一短だしな。
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