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Javn-har
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男性
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最近若干運気が低下気味です。買い物して店を出た後に買い忘れたものに気付くとか、私が家を出た瞬間雨が降り出すとか・・・(>.<)
なんだかなぁもう(ーー;)
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お供(笑)
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今年に入ってから、「何で俺は旅が好きなんだろう?」ということをよく考える。
ここ最近雪降った日があって、バイト先から自転車押して帰る途中ずっとそのことばかり考えていた。
考えるほどに、それは俺の祖父と深い関わりがあるような気がするんだよな。
今日はかなり回想モードに入ります。退屈になったらさっさと退出する事をお勧めします。
俺の祖父はとても旅が好きだった。
背中が曲がって足を引きずるように歩くようになってからも愛用の原付でいろいろなところに行ってたし、地域の旅行とかには必ず参加してたくらい旅が好きだった人なんだ。
小さい頃の俺は、祖父が旅行に行ったときに買ってきてくれる自分の知らない場所のお土産を見たり祖父の旅行の話を聞くのが好きだった。
そんな風にして祖父と接しているうちに、俺は「旅」というものが好きになっていったんだと思う。
同じく小さい頃、俺は祖父の原付の後ろに乗せてもらって景色を見に行ってた。
覚えている限りで祖父にはじめに連れて行ってもらったのは田んぼだった。その風景は今でも覚えているし、そのときは随分遠くまで来て、遠くにはこんな綺麗なところがあるのか、って思って、景色を見るのが大好きになった。
後に自転車に乗るようになって、その場所が家から自転車で高々10分くらいの距離でしかないとわかっても、その風景がずっと好きだった。その景色が、俺にとっての「旅」の始まりだったから。
そのほかにも、祖父と一緒に地域の旅行に行ったりもした。
小さい頃の俺はすごくメタボな子供だったので、最初のうちは元気に走り回るんだけどすぐに体力が底を尽きてへたりこみ、集団のペースについていけないこともしばしばだった。
でも祖父は先に行かないでいつも待っててくれた。それがすごく嬉しかった。
八年前、祖父に胃がんが見つかって、祖父は入院する事になった。
手術の結果、一度は症状は回復したんだけどそれから3ヶ月くらいで再び入院する事になった。
二度目に祖父が病院に運ばれた後、親族が来て祖父の部屋の家財道具を倉庫に片つけ始めた。
俺はその様子を見ながら、「何で片つけるんだよ?祖父はいつもみたいに旅に出ているだけなんだ!ベットまで片つけたら祖父はどこで寝るんだよ?」って思ってた。
その頃の俺は身内が死ぬということがうまく理解できず、必ず帰ってくるものだと信じていた。もしくは、そう思おうとしただけなのかもしれないけど。
結局、祖父は生きて帰ってくることはなかった。
祖父は一人で、仏教で言うところの仏様に会いに行く旅に出たのだ。
俺が祖父に「置いて行かれた」のは、それが最初で最後だった。
祖父が旅立ったという話を聞いて、俺は涙を堪えきれなかった。
俺は祖父にとっては初孫だったし、小さい頃は両親が共働きだったからいつも祖父に面倒見てもらってた。
祖父は前述のように俺を連れ出してくれるだけでなく、地域の民話や昔話をしてくれたり、俺を楽しませようとしておかしなものを用意したりしてくれていた。
そんな風に小さい頃から一緒だった祖父にもう会えない、という切なさがこみ上げてきて俺は涙を流した。
でもそれと同時に、当時の俺には「祖父に置いて行かれた」という感情がこみ上げてきていたんだ。「小さい頃からいつも一緒に出かけてただろ?何で一人で行くんだよ?しかも、いってきますも言わずにさ!」っていうね。今から見たらガキっぽさ&理不尽さ丸出しの言い分なんだけど、当時の俺にはそれしか言えなかった。
でもね、祖父はちゃんと「いってきます」を言ってたんだよ。
葬式の日、俺は時間まで自室でベッドに突っ伏してたんだけど、そんとき、空耳でもなく本当に、俺の名前を呼ぶ祖父の声を聞いたんだ。
多分あれが祖父の「いってきます」だったんだと思う。
祖父が旅に出たことには納得できたけど、当時の俺は祖父と一緒に行くから旅が楽しいんであって、祖父がいないなら旅に出ても楽しくないって考えていたところがあったから、それから旅には出ようとしなくなっていた。
で、再び旅に出るようになったのは五年前、まーさんに誘われて白川郷に行ったとき。
そこで、俺は再び旅に出る楽しさを知ったのね。久しぶりの旅立ったからかもしれないけど、景色が次々に変わるから行くまでも楽しい、旅の目的を果たせるから行ってからも楽しい、時間帯も移り変わっていて違う景色が見られて帰るときも楽しい、何ていいもんなんだ旅は!ってね。
この楽しさを教えるために祖父は俺を旅に連れ出してたんだろうと俺には思う。多分祖父は、「誰かと行くから」旅が楽しいんじゃなく、目的地を決めて、そこに行くこと自体が旅の楽しさなんだぞってことを言いたかったんだろうね。五年前に白川郷へ行って、ようやくそれがわかった気がする。
こんな感じで再び俺は旅が好きになって旅に出ることになりました、と。
俺には、「理想の最期」があったりする。
死因はなんだっていいんだけど、死んだ後に三途の川で祖父に待っててほしいんだな。
そこで俺は、「俺もじいちゃんに負けないくらい、いろいろなところを旅してきたんだぜ」って言うのさ。
そんで俺が見てきた景色を話し始めるんだけど、全部聞き終わった後に祖父が「じゃあ、また二人で旅に出るか」って言うんだ。
俺はうなずいて、祖父の原付の後ろに乗るのさ。そんで、祖父と二人であっちの世界に消えていくわけ。
こんな最期だったらいいなぁ。
今はとにかく多くの景色を見たい。
俺が景色を見るのが好きなのはもちろん、あの世で祖父に誇らしげに話せるためにもね。
考えてみたら、俺は祖父から多くのかけがえなの無い物をもらったのに、俺はほとんど何も返せなかった。
だから、せめて祖父が見れなかった景色を見て、それを祖父に話すのがせめてものお返しだと思う。
実家に帰るときは必ず仏壇に手を合わせる。祖父が俺の旅を見守ってくれるようにと、祖父に旅の話をするために。
今回はかなり回想チックになってしまったけど、俺がなぜ旅が好きか、またなぜ旅をしようと思うかを自分の中で整理するとこうなる。
こんな具合に、まだまだ旅をして行きます。一生どうでしょうします!
なのでおすすめのロケーションとかあったら教えてください。もうすぐ卒論も提出なんで、そしたら深夜ドライブなんかもまた行きましょう(*^_^*)
P.S. 最近またコメントが遅延しがちですみません・・・。
ブックマークによってブログの管理ページにダイレクトに入って記事を書いているのと、大体寝る前に書いているのが原因です・・・。
近々必ずお返事を書きますので・・・;;
ここ最近雪降った日があって、バイト先から自転車押して帰る途中ずっとそのことばかり考えていた。
考えるほどに、それは俺の祖父と深い関わりがあるような気がするんだよな。
今日はかなり回想モードに入ります。退屈になったらさっさと退出する事をお勧めします。
俺の祖父はとても旅が好きだった。
背中が曲がって足を引きずるように歩くようになってからも愛用の原付でいろいろなところに行ってたし、地域の旅行とかには必ず参加してたくらい旅が好きだった人なんだ。
小さい頃の俺は、祖父が旅行に行ったときに買ってきてくれる自分の知らない場所のお土産を見たり祖父の旅行の話を聞くのが好きだった。
そんな風にして祖父と接しているうちに、俺は「旅」というものが好きになっていったんだと思う。
同じく小さい頃、俺は祖父の原付の後ろに乗せてもらって景色を見に行ってた。
覚えている限りで祖父にはじめに連れて行ってもらったのは田んぼだった。その風景は今でも覚えているし、そのときは随分遠くまで来て、遠くにはこんな綺麗なところがあるのか、って思って、景色を見るのが大好きになった。
後に自転車に乗るようになって、その場所が家から自転車で高々10分くらいの距離でしかないとわかっても、その風景がずっと好きだった。その景色が、俺にとっての「旅」の始まりだったから。
そのほかにも、祖父と一緒に地域の旅行に行ったりもした。
小さい頃の俺はすごくメタボな子供だったので、最初のうちは元気に走り回るんだけどすぐに体力が底を尽きてへたりこみ、集団のペースについていけないこともしばしばだった。
でも祖父は先に行かないでいつも待っててくれた。それがすごく嬉しかった。
八年前、祖父に胃がんが見つかって、祖父は入院する事になった。
手術の結果、一度は症状は回復したんだけどそれから3ヶ月くらいで再び入院する事になった。
二度目に祖父が病院に運ばれた後、親族が来て祖父の部屋の家財道具を倉庫に片つけ始めた。
俺はその様子を見ながら、「何で片つけるんだよ?祖父はいつもみたいに旅に出ているだけなんだ!ベットまで片つけたら祖父はどこで寝るんだよ?」って思ってた。
その頃の俺は身内が死ぬということがうまく理解できず、必ず帰ってくるものだと信じていた。もしくは、そう思おうとしただけなのかもしれないけど。
結局、祖父は生きて帰ってくることはなかった。
祖父は一人で、仏教で言うところの仏様に会いに行く旅に出たのだ。
俺が祖父に「置いて行かれた」のは、それが最初で最後だった。
祖父が旅立ったという話を聞いて、俺は涙を堪えきれなかった。
俺は祖父にとっては初孫だったし、小さい頃は両親が共働きだったからいつも祖父に面倒見てもらってた。
祖父は前述のように俺を連れ出してくれるだけでなく、地域の民話や昔話をしてくれたり、俺を楽しませようとしておかしなものを用意したりしてくれていた。
そんな風に小さい頃から一緒だった祖父にもう会えない、という切なさがこみ上げてきて俺は涙を流した。
でもそれと同時に、当時の俺には「祖父に置いて行かれた」という感情がこみ上げてきていたんだ。「小さい頃からいつも一緒に出かけてただろ?何で一人で行くんだよ?しかも、いってきますも言わずにさ!」っていうね。今から見たらガキっぽさ&理不尽さ丸出しの言い分なんだけど、当時の俺にはそれしか言えなかった。
でもね、祖父はちゃんと「いってきます」を言ってたんだよ。
葬式の日、俺は時間まで自室でベッドに突っ伏してたんだけど、そんとき、空耳でもなく本当に、俺の名前を呼ぶ祖父の声を聞いたんだ。
多分あれが祖父の「いってきます」だったんだと思う。
祖父が旅に出たことには納得できたけど、当時の俺は祖父と一緒に行くから旅が楽しいんであって、祖父がいないなら旅に出ても楽しくないって考えていたところがあったから、それから旅には出ようとしなくなっていた。
で、再び旅に出るようになったのは五年前、まーさんに誘われて白川郷に行ったとき。
そこで、俺は再び旅に出る楽しさを知ったのね。久しぶりの旅立ったからかもしれないけど、景色が次々に変わるから行くまでも楽しい、旅の目的を果たせるから行ってからも楽しい、時間帯も移り変わっていて違う景色が見られて帰るときも楽しい、何ていいもんなんだ旅は!ってね。
この楽しさを教えるために祖父は俺を旅に連れ出してたんだろうと俺には思う。多分祖父は、「誰かと行くから」旅が楽しいんじゃなく、目的地を決めて、そこに行くこと自体が旅の楽しさなんだぞってことを言いたかったんだろうね。五年前に白川郷へ行って、ようやくそれがわかった気がする。
こんな感じで再び俺は旅が好きになって旅に出ることになりました、と。
俺には、「理想の最期」があったりする。
死因はなんだっていいんだけど、死んだ後に三途の川で祖父に待っててほしいんだな。
そこで俺は、「俺もじいちゃんに負けないくらい、いろいろなところを旅してきたんだぜ」って言うのさ。
そんで俺が見てきた景色を話し始めるんだけど、全部聞き終わった後に祖父が「じゃあ、また二人で旅に出るか」って言うんだ。
俺はうなずいて、祖父の原付の後ろに乗るのさ。そんで、祖父と二人であっちの世界に消えていくわけ。
こんな最期だったらいいなぁ。
今はとにかく多くの景色を見たい。
俺が景色を見るのが好きなのはもちろん、あの世で祖父に誇らしげに話せるためにもね。
考えてみたら、俺は祖父から多くのかけがえなの無い物をもらったのに、俺はほとんど何も返せなかった。
だから、せめて祖父が見れなかった景色を見て、それを祖父に話すのがせめてものお返しだと思う。
実家に帰るときは必ず仏壇に手を合わせる。祖父が俺の旅を見守ってくれるようにと、祖父に旅の話をするために。
今回はかなり回想チックになってしまったけど、俺がなぜ旅が好きか、またなぜ旅をしようと思うかを自分の中で整理するとこうなる。
こんな具合に、まだまだ旅をして行きます。一生どうでしょうします!
なのでおすすめのロケーションとかあったら教えてください。もうすぐ卒論も提出なんで、そしたら深夜ドライブなんかもまた行きましょう(*^_^*)
P.S. 最近またコメントが遅延しがちですみません・・・。
ブックマークによってブログの管理ページにダイレクトに入って記事を書いているのと、大体寝る前に書いているのが原因です・・・。
近々必ずお返事を書きますので・・・;;
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